世界情勢の緊迫化に伴い、「国の安全を守るためには核兵器による抑止力が必要だ」という声が強まりを見せています。しかし、地域医療の現場で人々の生命と健康を守る立場から、私はこの「核抑止論」という考え方に賛同することはできません。核抑止論とは、「核兵器による圧倒的な破壊力を示し、相手に『攻撃すれば自国も壊滅的な報復を受ける』と思わせることで、攻撃を思いとどまらせる」という安全保障の考え方です。一見すると、恐怖のバランスによって平和が保たれている合理的な仕組みのように思えるかもしれません。
しかし、その論理の根底を突き詰めていくと、重大な破綻にぶつかります。核抑止が成立するためには、いざとなれば相手国の何十万人、何百万人の市民を殺戮し、地球規模の環境破壊を引き起こす覚悟があることを相手に信じ込ませなければなりません。つまり、核抑止論とは「人類の滅亡をも辞さない」という「狂気」を前提とすることでしか成り立たないシステムなのです。平和を守るという目的のために、人類の理性が築いてきた道徳や人道主義、命の尊厳に完全に背を向ける。この矛盾の中に、核抑止の決定的な限界があります。
私たち医療従事者の使命は、目の前の命を救い、人々の健康と人間らしい生活を守ることです。1945年の広島と長崎の悲劇が証明しているように、ひとたび核兵器が使用されれば、その圧倒的な破壊と放射線障害により、救急医療や救護活動そのものが不可能です。人道的な支援すら拒絶する悲惨な状況を生み出す兵器を「安全のための道具」として容認することは、命を守る医療の理念と根本から相容れません。予防できる最大の健康的脅威である核兵器をなくすことこそが、最も確かな「人道の選択」です。
もちろん、安全保障のあり方については市民の間にもさまざまな懸念や異なる意見が存在します。核抑止に頼らざるを得ないと考える人々の不安もまた、無視できるものではありません。だからこそ必要なのは、一方的な主張の押し付けではなく、「多様な意見を尊重しながら対話を重ねていくこと」です。国際社会において、核兵器禁止条約の発効や、市民社会による核軍縮の取り組みは、核兵器のない世界を目指す人々の連帯によって推進されてきました。国家間の対立や武力による脅しに頼るのではなく、一人ひとりの市民が課題に向き合い、草の根の対話を通じて「戦争のない世界」への合意を形成していく力こそが、時代を動かす真のエネルギーとなります。
命の現場から、そして地域社会の一員として。私たちはこれからも、一人ひとりのいのちと暮らしを大切にする視点を保持し、対話を通じた平和な社会づくりと核兵器のない未来の実現に向けて、歩みを進めてまいりたいと思います。
