人工呼吸器不足が話題になっています。新型コロナ肺炎が猛威を奮っています。人工呼吸器が必要な重症患者が増えています。患者数に比し、人工呼吸器が不足する場合が想定されます。もちろんそうならないように準備するのが大前提です。足りなくなった時、呼吸器を誰につけ、誰につけないかの選択の問題です。自分が肺炎になった時に、どうするか今から真剣に考える必要があります。
命にかかわる選択です。呼吸器をつけると助かる可能性があります。つけないと死んでしまいます。まさに究極の選択です。
医師や国などの本人以外の他者がそんな選択をすることはできません。他者が、誰かの命の価値と他の誰かの命のそれを、値踏みすることはできません。命の平等は基本的人権にかかわるものです。例えば他者が何歳以上は呼吸器をつけないと決めて実行すれば、助かる命を切り捨てる殺人に相当します。
あらゆる手立てを尽くしても呼吸器が見つからない時は、つけることができません。仕方がないことです。隣の人の呼吸器を外して、自分につけてくれとは言えません。
しかし、器械の予備があっても誰かにつけるために、それの使用を留保して、器械を必要とする人につけないのは不適切です。患者に対する死の強制です。
考えられるのは本人の自発的意思による選択です。「人工呼吸器が足りないなら、私に使わなくてもいい」という選択です。この自己選択はあってもいいと思います。
それは終末期における受けたい医療の選択とは別の問題です。死が確実に迫っている時にどんな医療を受けたいか、どんな死に方をしたいかを、本人が選択します。
呼吸器装着問題は違います。死が確実に迫ってきている時ではなく、器械をつければ助かる見込みのある時に、他者のために呼吸器を譲るのです。死に方の選択ではなく、死の選択です。平時ではありえない選択です。
この呼吸器が足りないという究極状態では、自発的死の選択はありえます。しかし本当にそれが自発的であるかが問題です。誰かが自発的に呼吸器を辞退して称賛されることがおこります。そうすると同じ状況の別の患者が自分は器械をつけたいと言いにくい状況になるでしょう。自分は呼吸器をつけたいといえる状況を担保しなければなりません。
肺炎になって呼吸器が必要になることは、起こりうる現実です。自分はどうするのか今から考え、家族や主治医と話し合ってください。