ドクター松葉のぴりからコラム

ニ○一五年 この国のかたち
耳原高石診療所
所長 松葉 和己


 いつからエスカレーターは、こんなに高速になっていたのか。
男はとまどいを覚えながら、駅の上りのエスカレーターに乗っていた。手すりを持ち、ステップの右側に体を小さくしながら立っていると、左側を次々と乗降客が登ってゆく。男は、「そんなに急いでも一分も違わないのに」と悪態をつくしかない。
 この国の時計は、ものすごいスピードで動いているように男は思っていた。考える暇を少しも与えない。「もうちょっとよく考えさせてください」と言っても置いておかれるだけだった。みんながしてほしいことをまとめあげて実行するのが国の役割だと、今まで男は思っていたが、どうやらそれは違うようだ。誰も望まないことを、誰も考えないうちに超スピードでやってしまうのが国というものだと、だんだんわかってきた。
 津波で家が流された人は、高台に移転しなくてはならない。そのためには大量の土砂がいる。しかし、オリンピックが決まって土砂の値段が跳ね上がり、業者も被災地で仕事をするより東京に行ったほうが儲かるので、みんな東京に行ってしまう。これをうまく調整するのが政治と行政の仕事とばかり思っていたが、そうでないらしい。
 3・11の震災で国が変わるかと思ったが、ぜんぜん変わっていなかった。国民全体の幸福を追求するのではなく、ごく一部の人の欲得を満たすことだけを追及するようになった。グローバル化か何か知らないが、社会が実に利己的になってしまった。少しでも人と違う意見を述べれば、バッシングの嵐だ。ネット上で罵詈雑言が乱れ飛ぶ。秘密保護法で、人は真実を知ることすらできなくなった。潤っているごく一部の人の影で、基本的人権を与えられない、声をあげることすらできない多くの若者がいる。
 男は、この国に絶望していた。なぜ狭い国土に五十基もの原発がいるのか。集団的自衛権でアメリカと一緒になってテロと闘う覚悟が、国民にあるのか。テロリストがハイジャックした飛行機が、同時多発原発テロを起こさないという保障がどこにあるのか。
バベルの塔のように、もう一度この国は滅べばよい、とすら男は思っていた。しかし、例えば福井地裁の大飯原発の判決文は、「国民が大地に根ざして安心して暮らせることが国富である」と明言していた。実にあたりまえのことだったが、なぜか男はその判決文を見て涙が流れた。
 この国の人々も捨てたものではない、と今年は何度思えるだろうか。

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