ドクター松葉のぴりからコラム

死を迎える心
耳原高石診療所
所長 松葉 和己


 人はいつか必ず死ぬ。
 ふだん私たちは、この絶対的真理を意識することなく、毎日を過ごしています。ところが、「あと何ヶ月しか生きられない」と宣告されればどうでしょうか。
 癌患者さんの場合、あるところまで進行すると、「あと何ヶ月」という線が、否応なしに提示されます。この世で生活できる期間が有限であることを意識することになります。
 そのことが患者さんにとって良いのか悪いのか。
 「がん回廊の朝(あした)」などの著作で有名なノンフィクション作家の柳田邦男さんは、次のように言っておられます。
「私は、最後はがんで死にたい。なぜなら、自分に残されている時間が決まっているから」
 柳田さんのように頭脳明晰で冷静な方なら、「残された時間」があるということは、すばらしいことに思えるのでしょう。残された一日、一時間を有意義に過ごすことができるからでしょう。
 しかし、凡人には、死を受け容れることは、なかなかできることではありません。いつ死ぬのかわかっていないからこそ、生きることができている、という言い方もできます。
 私が経験した癌の患者さんには、私の洞察力が乏しいせいかもしれませんが、「残された時間」を見事に使い切り、最後は微笑んで、家族に「ありがとう」と言ったような方は、ほとんどいませんでした。
 やはり癌は苦しい。苦しいながらも、日常のこまごました些細な用事を、今まで通りに淡々とこなしている患者さんが多かったように思います。
 明日死ぬかもしれない人でも、今晩何を食べるのか考える。来月死ぬかもしれない人でも、今月、特定健診を受ける。そういうことが、人の正直な生き方のように、私には思えます。

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