ドクター松葉のぴりからコラム

「オランダの飢餓」 その一
耳原高石診療所
所長 松葉 和己


 一九四四年(昭和十九年)九月。連合国軍がパリを開放した頃、ナチスドイツはまだオランダを支配し続けていました。港の封鎖や食糧補給路の寸断により、アムステルダムを含むオランダ西部の地域では、深刻な飢餓状態に陥りました。住民は、パンとジャガイモだけの一日七〇〇キロカロリー程度の食料しか摂ることができず、冬の寒さの影響もあり、一九四五年五月、連合国軍によって解放されるまで、二万二千人が餓死しました。「オランダの飢餓」と呼ばれる事件です。
 この住民の中にイギリス人の両親を持つ十五歳の少女がいました。ダンサー志望のこの少女は、見る人をとりこにする不思議な眼を持っていて、飢餓に耐え生存することができました。二二歳の時、ローマを訪れる王女役としてアメリカ映画にデビューしました。女優オードリーヘップバーンの誕生です。
 「オランダの飢餓」を経験した人で、オードリーのように生涯スリムな体形を維持した人は、稀で、生き延びた住民を二五年間追跡調査した研究によると、飢餓を経験した住民の実に八〇%が後に肥満になっていることがわかりました。
 この研究でもっと重要なことは、飢餓の時期を経て生まれた子供の追跡調査の結果です。飢餓状態の母親から生まれた子供は、成人後、高率に糖尿病や高血圧の生活習慣病になっていたのです。
 母親のお腹の中にいる胎児は、妊娠期間中に、胎盤を通して周囲の環境を察知し、少ない栄養を効率よく胎内に取り入れようとする体質を作るので太りやすくなるのです。
 次回は、戦中・戦後の日本も同じ状況にあったというお話しをします。

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